松陰神社/東京都世田谷区(松陰神社前)
松陰神社/吉田松陰先生を祀る神社
下高井戸から三軒茶屋を結ぶ「チンチン電車」東急世田谷線。まったりとした時が流れ、オシャレなカフェや話題の雑貨店がある穴場スポット「松陰神社前駅」に鎮座する「松陰神社」。明治維新に精神的指導者と名高い吉田松陰先生を祀る「松陰神社」を紹介していきたいと思います。
目次
ご由緒
明治維新の立役者である伊藤博文等数多くの逸材を育てた教育者、吉田松陰先生をお奉りする神社。安政の大獄により江戸で処刑された松陰先生を弟子達が長州藩の下屋敷のあったこの地に埋葬した。明治十五年墓畔に社を築き魂の鎮座する所となる。
(参考資料:東京都神社庁より)
境内案内
大きな黒鳥居が目印の「松陰神社」。この鳥居は東日本大震災後に倒壊の恐れがあり建て替えられました。鳥居の形式は「春日鳥居」でしょうか。
整備された参道を進むとの左手に手水舎があります。太陽の光の関係と思いますが「虹」が見える写真はお気に入りの1枚です。
手水舎の参道を挟んで右手に吉田松陰像があります。
社殿本殿には、吉田松陰先生の家紋である、「五瓜に卍」神社幕が厳かな雰囲気です。この家紋は珍しく、子孫繁栄・発展の意味の他、高貴で神聖なる意味もあるとされているようです。
境内右手には「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を模造した建物があります。
「多くの書物を読まずに、どうして将来語り継がれるような人になり得るだろうか。自分の労苦をいとう者にどうして人々の安らかな生活を築くことができようか。決してできない。」
松下村塾聯(松下村塾の床の間に掲げられていた言葉)
自分で気づかせ、個性を生かす心の通い合う教育だったと書かれていますが、現在の教育に似ていますね。
明治41年(1908年/明治時代)、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、乃木希典らによって松陰50年祭が行われ30以上もある石燈籠は寄進されたました。
また、境内の左手には「松陰先生他烈士墓所」に繋がる参道があります。文久3年(1863年/江戸時代後期)正月。高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人等は、松陰先生の亡骸を千住小塚原回向院よりこの世田谷若林大夫山の楓の木の下に改葬し、先生の御魂の安住の所としたと言われています。
多くの日本史学者を魅了し、崇敬者だけではなく現代に通じる多くの言葉や指導者を教育した吉田松陰先生をお参りできるのも感慨深いと思います。
御朱印
初穂料:500円
受付場所:境内左手にある社務所にて
受付時間:9時~17時まで
参拝時間:7時~17時まで
※毎月27日・・・月命日御朱印あり。
※4月27日と10月27日(吉田松陰先生命日)例大祭御朱印あり。
参拝情報
参拝日:2018/05/05
参拝日:2018/05/27
神社情報
例大祭:4月27日・10月27日
公式サイト:http://www.shoinjinja.org/
アクセス
鎮座地:東京都世田谷区若林4-35-1
最寄駅:東急世田谷線/松陰神社前駅 徒歩5分
東急世田谷線/若林駅 徒歩5分
参拝を終えて
初めて訪れた「松陰神社前駅」昭和と平成の融合の街、商店街や街の方達からも崇敬を集めていると感じる街。
松陰神社までの商店街を歩くだけでもオシャレで美味しそうなカフェ、魅力的な雑貨店など超穴場のスポット。
街だけではなく、松陰神社に着くと一角はとても厳かな雰囲気に包まれ、吉田松陰先生のお言葉等を拝見し身が引き締まる思いがしました。
今年から始まったパワースポット神社を巡る女子旅で10カ所参拝しましたが、一番のお気に入りスポットです。
吉田松陰の名言・格言
吉田松陰は筆マメ人物として有名で、事細かに記録したり、手紙や書・言葉を多く残しており、30年という短い生涯の中に松陰の名言や格言が多く後世に伝わっています。
「学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。」
「妄(みだ)りに人の師となるべからず、 又妄りに人を師とすべからず。 」
[現代語訳]
師弟のあるべき道を求めるならば、安易に師となるべきではなく、安易に弟子となるべきではない。必ず本当に教えるべきことがあって師となり、本当に学びたいことがあって師につくべきである。
その他
松陰神社に向かう商店街で購入した書籍「留魂録読本」と「吉田松陰先生の詩文」
しおりは松陰神社で御朱印を頂いた際に一緒に頂きました。
非売品で檜木材を使用している貴重なしおりです。
脚注
・当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
・その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。